ぼくに見えた道

1/12(日)16:00 岡山会場(定員20名)、日本初上映!
原題:When I Saw You、作品の主題:1967年 第3次中東戦争

監督・脚本: アンマリー・ジャシル(『この海の塩』)、出演:マムード・アスファ、ルバ・ブラル、サーレフ・バクリ(『青いカフタンの仕立て屋主演)、撮影監督: エレーヌ・ルヴァール(『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』撮影監督)、編集: アンマリー・ジャシル & パノス・ヴォウツアラス。ドラマ、2012年、パレスチナ|ヨルダン、93分。アラビア語(英語字幕&日本語バリアフリー字幕付き)

1967年のヨルダン。世界は変革の風で生き返り、新しいエネルギー、スタイル、音楽、そして若者をとりこにする希望に満ちあふれていた。しかしヨルダンでは、何万人ものパレスチナ難民が、国境を超えてなだれ込むという違種の変革が起こっていた。戦争の混乱の中、父と生き別れになったタレク(11歳)とその母ガイダは、ヨルダンの難民キャンプの一つに、つい最近到着したばかりだった。テントとプレハブが並ぶだけのその「一時的な」キャンプで、彼らは家に戻れる時を待つことになる。しかしそのキャンプには、1948年に到着して以来ずっとその日を待ち続けている一世代上のパレスチナ人たちがいた。ハリールキャンプの生活に馴染めず父に会いたくてたまらないタレクは、故郷に帰る道を探し始める。そして、時代の新しい希望を見つける。自由を求める心と好奇心に導かれ、タレクは砂漠である一団と出会う。そして、タレクとガイダの人生は大きく変わり始める。

「ぼくに見えた道」は時代の波に翻弄される人々が、人生にあるべきその先の意味を探す物語。自由を求めて、愛と笑いに満ちた旅をする物語。そして何よりも、誰もが人生で経験するだろう、眼前の事象や人が今までと全く違って見え、自分の進むべき道と可能性が見える、最も生きていると思える、そんな瞬間の物語。

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監督・脚本:アンマリー・ジャシル(共同編集も兼任)
パレスチナ人映画監督で詩人。これまでに16本以上の映画作品を手がけ、アラブ映画のニューウェイブ監督、また世界初のパレスチナ人女性監督として国際的に高く評価される。パレスチナ難民としてサウジで育ち、アメリカのコロンビア大学で映画を学ぶ。学生時代に制作した短編『Like Twenty Impossibles 』(2003) は、アラブ短編映画初のカンヌ正式招待作品、アカデミー賞のファイナリストにも選ばれる。つい先日まで北米ではNetflixで視聴可能だった。2作目で初長編ドラマ作品の『この海の塩』(2008)」(原題:Salt of This Sea、UPAF オンライン第1弾で配信、2025年1月に岡山の小さなカフェで対面上映)はカンヌ正式招待、FIPRESCI 世界映画批評家連盟賞を含め14の国際映画祭で受賞。パレスチナのアカデミー賞エントリー作品。長編2作目の本作『ぼくに見えた道』は、第63回ベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞、アブダビ映画祭最優秀アラブ映画賞など受賞多数、またパレスチナのアカデミー賞エントリー作品 。本作はプロデューサー全員がパレスチナ人で完全アラブ出資でつくられ、アラブ映画の新しい形を提示した。長編第3作目の『ワジブ (原題: Wajib)』もパレスチナのアカデミー賞エントリー作品に選ばれている。

アラブ世界とイランに特化したインディペンデント映画制作会社 Philistine Films を共同設立し、現在はヨルダンとパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区を拠点に活動を続ける。

張芸謀(チャン・イーモウ)がプロトジェとして選び、カンヌ審査員も務める人物ながら、日本では紹介された記録が見つからない。第10回UPAFでは、彼女の長編2本に日本語バリアフリー字幕をつけて本邦初公開する。


監督の言葉–
故郷のラマラに戻ることができなくなって以来、亡命という言葉や故郷から切り離されている現実への理解が多次元的により深く理解できるようになった。アンマン(ヨルダン)というすぐ近くの街に住んでいるのに行かれないので、より難しく、心が痛い。少し運転すれば、パレスチナはここから見える。谷の向こうにはパレスチナの丘が見え、街も目で識別できる。友人や家族、私のアパートはすぐそこなのに、今では訪ねることができない。パレスチナが記憶になっていき、そのイメージや私がそこに生きていた現実を、心にとどめておくのに必死だ。

そんな中で生まれたのが『ぼくに見えた道』だった。目に見えるほど故郷は近いのに、行くことが叶わぬ夢。自分が望むことははっきり見えているのに、手に入れられない現実。その風景の深みと美しさ、そして残虐性を描いたのが本作だ。同時に、希望が私たちを生かすことも描きたかった。そして、私たちの歴史の中で重要な時期、つまりごく普通のパレスチナ人が自分達の人生を変えるために何かできるのではと思っていた時期、夢と変革を求める気持ちが皆に伝染していった時期、それを映画として残したかった。

国境の存在や故郷に立ち入れないという現実が、タレクには理解できない。しかし実際、ウブでだまされやすいのは誰なのか。タレクという少年は自由の意味を生まれつき理解しており、自分が望むものを臆さずに言葉に出し、周囲を愛しまた周囲から愛される安全な世界で生きたいとまっすぐに表現する。他の子どもたちとは少しずれているこの少年の心は論理的で、だからこそ国境の不条理が彼には理解できない。

一方、タレクの母ガイダは、どうにか生き延びて家族と自分の身を守るために、真面目で現実的な性格になっていたが、実は心の中に小さな炎、ずっと昔に消されてしまったはずの炎を持ち続けていた。タレクが周囲の当たり前と思われていることすべてを拒絶しながら自分の存在や考えをがむしゃらに突き通そうとするのを見て、昔の自分を取り戻していく。

『ぼくに見えた道』は希望を描いた映画だ。人生の中で、ある特別の瞬間に湧き起こり、新しい世界は可能だと思える希望。時と状況によって生まれ、朝には消えてしまうかもしれないような儚い希望。でも、たとえ一瞬でも、心が弾けそうになりすべてが可能に思えるその希望は、確かに存在するのだ。

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